Message理事長・校長の言葉

Vol.01

幸せな人生を歩むために

生徒たちの可能性を引き出し、入学時より満足度を高め付加価値を付けて卒業できる、そんな学園でありたい。
好文学園は、1937年に創立し、今年80周年を迎えました。
まず、80周年を迎えられたことを、好文学園で学ぶ生徒の皆さん、卒業生、保護者の方々そして教職員とともに喜び、
常日頃私たちを温かくご支援くださっている多くの地域の方々、関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

これまでを振り返って

私が校長に就任したのは、2007年4月のこと。中小企業の経営に携わっていた私は、前年6月、請われて本校の専務理事に就任しており、授業を覗きに来るなど学校を頻繁に訪れており、生徒たちからよく話しかけられていました。生徒との会話の中で、「白い靴下を紺色に変えてほしい」「カーディガンを制服に取り入れてほしい」などの要望を聞くことも多々ありました。私は良いと思ったことは即実行に移すべきだと考えていました。生徒たちの要望について実施を急ぐ私に「制服委員会を立ち上げ教員間の調整も必要でそう直ぐには・・・」との校長の答え。1年周期でしか動かない学校システムに隔靴掻痒感を抱きました。生徒たちと接する中で、もっと生徒たちのためになるようにスピード感を持ってこの学校を改革したいという気持ちが強くなっていきました。そんな12月のある夜、校長室で、校舎の建て替えなどについて話していた時、「貴方のほうが校長に向いていますね。代わりましょうか?」という予想外の校長の一言を受け、「時は今」と、校長になることを即決したのです。

就任1年後には校名を変更。あらゆることを「それは本当に生徒のためになるか」を基準に見直し、生徒や教職員の意識改革を基本とした学校改革を進めてきました。最優先は、生徒指導。毎朝校門に立ち、「おはよう」と声掛けしながら服装の乱れを正していきました。初めは呼び止められても逃げていた生徒たちも、「なぜ服装は正すべきなのか」を教員たちが熱心に納得するまで伝え続けることで、次第に心を開き、呼び止めれば、戻ってくるようになり、1年で生徒の身だしなみは飛躍的に改善されました。校名変更に伴い制服も一新。生徒の希望を優先して決定しました。お蔭で、10年経った今も現在の制服は在校生の圧倒的支持を得ています。

校長になった年の2学期頃、3年生のある生徒が吹奏楽をやりたいと頼みに来ました。当時の事務長は、「吹奏楽は楽器にお金がかかり本気でやるかどうかわかりませんから、やめといたほうが良いですよ」と言いました。そこで私は「君たちの卒業式に国歌と校歌の演奏を目指してくれるかな?」と訊ねたところ、真剣な顔で「はい」と答えたので、音楽の先生に顧問を頼んで復活に向けて舵を切りました。数人で始めた吹奏楽部も今では42名を数えるまでに成長しました。5年がかりで楽器も買い揃えました。当時殺風景な学校の様子を見ながら、「花と緑にあふれ、音楽が流れる学校にしたい」と強く思った私の願いは実現し、レストラン前のウッドデッキでは吹奏楽部や軽音楽部によるランチタイムコンサートが開かれ、天然芝のグラウンドではお弁当を食べたりバレーボールやバドミントンに興じたりする生徒たちの笑顔と歓声が溢れる学校へと変貌を遂げました。

生徒により命名された文化祭「好文明華祭」。尼崎あましんアルカイックホールでのステージは生徒たちが1年で最も盛り上がる瞬間です。レクリエーションの要素も取り入れた学年対抗の体育祭。これら学校行事も飛躍的に充実度を増しています。
今年80周年を迎え、「好文学園のあるべき姿とは何か」を改めて考えるとき、今、世のなかに鳴り響いている「グローバル狂騒曲」に踊らされることなく、教育の本義を追い求めて行きたいと思います。それは、「挫折力を高め、自立した社会に貢献できる女性を育てる」ことであり、スキルも大事ですが何より考え方の軸を持った人間を育てることだと思います。「何のために生きるのか」を常に前向きに問い続ける哲学を持った人間を育てることに尽きると思うのです。

「やればできるは魔法の言葉 自分サイズの未来を拓く チャンスメーカー好文学園」、このキャッチフレーズは永遠に不滅です。そして、私たち教師の行動基準はいつも「それは本当に生徒のためになるか」であり続けます。