好文木(校長ブログ)
2018.11.09
教養ある人に

 SNSによるトラブルが後を絶ちません。先日も青森市議会議員に初当選したITエンジニアの若者がSNSの裏アカウントで、高齢者を揶揄する表現、性的少数者に対する差別的表現、障がい者に対する差別的表現があったことで謝罪に追い込まれる事件がありました。
 残念ながら本校においても少なくはなったものの年に1~2件はトラブルが見つかり指導をしなければなりません。しかし、未熟な高校生のみならず高学歴で社会的立場もある大人においてもこの種の案件が後を絶たないのはなぜなのでしょうか。私はこれはひとえに教養のなさから来るものだと思います。
 教養とは何か。科学哲学者の村上陽一郎氏は『やりなおし教養講座』(NTT出版)において、「自分を修めること、きちんとした人間として、正しいと思う方向に向かって自分を造り上げていくことをもって教養と理解すれば、知識人ではない市井の中に埋もれている生活者の中にも自分をしっかりもって、自分をきちんと造り上げていく人はいる。そして自分を造り上げていく作業は永遠に死ぬまで続く。一生かけて自分を造り上げていくことにいそしみ、邁進している、日々努力している人を、教養ある人というのではないか」と述べています。
 教養というと何か高尚な学問や芸術に関する知識が豊富なことをイメージしがちですが、知識はそれのみでは必ずしも教養とは言えません。知識はあくまで自分を造り上げてゆくための手段、材料にすぎません。ここを間違うと知識の修得のみをもって教養を身に着けたとの錯覚に陥ります。
 高校生は成人となる準備期間であり学びの時期です。失敗や挫折はあってしかるべし。そこから学ぶことが大事です。SNSのトラブルを通じて、言葉の持つプラスとマイナスの力、人を慮る力、怒りを鎮める力、素直に自分を見直す力などを身に着けてほしいと思います。そして一生をかけて自らを教養ある人間に造り上げる努力を惜しまないでほしいと思います。

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