昨日、帰宅途中の車のラジオから、カルロス・ゴーン日産会長が金融商品取引法違反で逮捕とのニュースが飛び込んできました。最初、何のことなのか理解できませんでした。あのゴーンさんと逮捕とが結び付かなかったのです。帰宅後、詳細を報じるテレビのニュースで自らの報酬を有価証券報告書に過少申告した虚偽記載の疑いだとわかりました。しかし、一人や二人で勝手に報酬を少なく記載できるものなのかという疑問は残ります。
マスコミは一斉に、「カリスマ経営者の逮捕」と報じています。「カリスマ」とはギリシャ語で神の賜物を意味し、超人的な資質を持つ英雄や預言者を指す言葉です。当時潰れかけていた日産に乗り込み業績をV字回復させたコストカッターの異名をもつゴーンさんはまさにカリスマと呼ばれるにふさわしい経営者です。イギリスのコメディアン、Mr.ビーンに似て尊敬と親しみを込めて「ゴーンさん」と呼ばれていました。やむを得ぬ仕儀とはいえ「ゴーンさん」から「ゴーン容疑者」に改められ、盛者必衰、諸行無常の感を強くいたします。
ジェームズ・コリンズは未来志向で先見的企業を『ビジョナリーカンパニー』と呼びました。そして、ずば抜けた回復力(逆境から立ち直る力)、長期的に高い株式総合利回り、長期的に優れた投資収益、社会に不可欠の存在をその要件としています。
しかし、ビジョナリーカンパニーに「ビジョンを持ったカリスマ的指導者は全く必要ない」と述べています。「素晴らしいアイデア、素晴らしいビジョンを持ったカリスマ的指導者であることは「時を告げること」であり、一人の指導者の時代をはるかに超えていくつもの商品のライフサイクルを通じて繁栄し続ける会社を築くのは「時計をつくること」である」と。
「時を告げる」預言者であったゴーンさんが去った後、「時計をつくる」設計者がいるのかどうか、それが日産の今後を占うことになるのだろうと思います。カリスマに頼る癖がつくと人が育ちません。人が育たないといつまでもカリスマに頼らざるを得ません。人材育成の難しいところです。