私たちは日常会話の中で、センスの良し悪しを論じることがあります。この「センス」について、グッドデザインカンパニー代表の水野学氏は「センスの良さとは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力」(『センスは知識からはじまる』朝日新聞出版)と定義づけています。そして、センスは生まれつきの才能ではなく、知識を集積し客観的に物事を見ることによって磨かれると述べています。
例えば、生まれながらにファッションセンスのある人はいません。おしゃれに興味を持てば、ファッション雑誌などで流行を調べるでしょう。しかし、最先端の流行を取り入れたからと言ってセンスが良いとは言えません。TPOにあっているか、自分の良さを引き立てているかなど検証が必要です。そのためには、身嗜みの基本を知らなければなりません。
私自身、12年前までは民間企業に勤務していましたので、身だしなみにはそれなりに気を使っています。時にはファッション雑誌に目を通すこともあります。スーツは30年来同じお店で購入しているので、私の好みを分かった上で似合うものを選んでもらえるので安心です。TPOの基本も教えてもらえますし、客観的なアドバイスももらえます。
仕事も同じです。私は12年前、本校の校長になるまでは教育については素人でした。そこで、生徒指導のセンスを生徒指導に優れた教員を見習うことによって身に着けました。どのように生徒の話を聴くのか、どのような話をするのか、生徒のタイプや置かれた環境に応じて、その生徒のためになる指導の最適化を横について学びました。そこから出てきた結論が、「傾聴」と「共感」です。私は当時、50歳でしたが、素人だからこそ校長という立場であってもプロ教員から学ぼうとする素直さがあったのだと思います。
仕事のセンスを磨くためには、その仕事に対する好奇心と知識吸収欲そして自分を客観視できる素直さを併せ持っていることが必要だと思います。いつも同じ原因で生徒とトラブルとすれば、この三条件のどれかが欠けているということです。
学校には生徒指導のルールや進級・卒業を判定する教務規定があります。ルールや規定は尊重されねばなりませんが、これに抵触したらすべてアウトというのであれば、教師は必要ありません。コンピューターに任せればそれで済みます。本当にその対応がその生徒の将来のためになるのかよく考える必要があります。「数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力」、まさにセンスが求められるところです。
ここ数日、うれしい報告が続いています。苦戦していた特進コース生の大阪教育大学、鳥取大学などの合格報告がもたらされました。大阪教育大学に合格した生徒は、経済的問題から、教育大一本勝負で私学は受けませんでした。落ちたら就職する覚悟、背水の陣で臨んだ合格でした。特進以外のコースからもチュートリアル(個別指導)を受けて関西大学、近畿大学そして公立鳥取環境大学への合格報告が届いています。
そして、もう一つ嬉しいのは、苦しい状況の中、本校を卒業した生徒が大学卒業を迎えた連絡をくれたことです。最愛のお母さんを亡くし、在学中、何度も挫けそうになりましたが、クラスメートや多くの先生の支えがあり卒業しました。しょっちゅう校長室にきて弱音を吐いていました。「卒業後は進学も就職もしたくない。校長先生の秘書にして」というので、丁重にお断りし、大学進学を勧めました。大学入学後も一時はスランプに陥っていました。励ますと、「卒業出来たら報告するから、校長先生、卒業式に来てくれる?」と訊いてきたので、「もちろん行くよ」と答えていました。来る20日の卒業式には喜んで出席して祝福したいと思います。
また、もう一人、昨日会った卒業生も高校入学時から家庭環境により悩み多き生徒でした。入学後すぐの一泊研修に出席を渋り遅れてきたのでバスに間に合わず、私が車で一緒に連れて行きました。現地に到着してもクラスに入らず、結局また私が運転して連れて帰って来たものでした。最寄り駅で下して、帰宅したら担任に連絡を入れるように言うと、「校長先生に連絡を入れる」というので、連絡先を教えました。そこからの始まりでした。彼女もまた担任や多くの先生の応援を受けました。その生徒が、今、大学2年生になっています。学費は親に頼れないので、すべて奨学金で賄い、アルバイトでお小遣いを捻出しています。立派なものです。
この二人の卒業生も、それぞれ挫折を経験しそれを乗り越えつつあります。その過程において好文学園が「数値化できない彼女たちの個別の事象の良し悪しを判断し、彼女たちの将来に向けて最適化する能力」を発揮できたのではないかと思います。そして、卒業生にとっても校長室はいつまでもオープンにしておきたいと思っています。