北方領土問題について、「戦争でとられた島は戦争で取り返すしかない」という趣旨の政治家の発言が物議をかもしています。言葉というのは政治家にとって命だと思いますが、昨今は「はぐらかす」、「しらを切る」、「開き直る」言動が多々見られ、誠に残念に思っておりましただけに、あまりのお粗末さに、呆れてしまいました。
さて、『先生!』(池上彰編 岩波新書)を読んだところ、爆笑問題の太田光氏が池上彰氏によるインタビューに次のように答えているのが大変印象に残りました。
「先生は本来学問を一生懸命学んだ人が先生になっているわけだから、学問の楽しさを上手く伝えてくれればいい」、「社会に出たこともない新卒の若い先生が生活指導とか人生哲学とかをおしえるなんて、そんなの無理に決まってるじゃないかと思う」、「理想を言うと、学校は独学しやすい場所であってほしい」、「先生も芸人も「言葉で伝える」職業、「伝える」技術に長けていることは重要。そのうえで、本当は言葉じゃなくて感覚だよねということを忘れないでいることも必要」、「伝えたいことが伝わるって、すごく幸福なこと。だから学校の先生もコミュニケーションだと思う」
学校の先生にとっての必要な能力について見事に的を射た指摘だなと思います。
「本来学問を一生懸命学んだ人が先生になっている」はずなのですが、当てはまる人とそうでない人がいます。そして「学問の楽しさを上手く伝える」ことができる先生というのも決して多くはありません。自分が聴いて面白いと思う授業をしているかどうか? 答えを教えるだけの授業になっていないか? 生徒に考えさせる授業ができているか? ただ時間内に単元をこなすだけの授業になっていないかどうか? 残念ながら、ダメ押しをしたい先生は若手、ベテランにかかわらずいます。学問の楽しさを上手く伝えることができれば、生徒は言われなくてもどんどん自分で考えて勉強しだします。本来、勉強というのは自分でやるべきものです。学問への興味関心を上手に引くことができる先生の多い学校が「独学しやすい学校」ではないかと思います。
生徒指導や人生哲学については新卒の先生に期待することは酷です。それは経験に比例するからです。新任の先生は失敗しながら経験を積んでゆかねばなりません。指導する前に生徒の話をよく聴くことから始め、共感を覚えることができるかどうかです。自分が生徒の立場、環境だったらどうかとイメージすることです。結果には必ず何らかの原因があるものです。それを探ろうとする探求心も必要です。
そして、政治家もさることながら、学校の先生にこそ「言葉」は重要です。いくら美辞麗句を並べてもその先生の経験に裏付けされた心から出た言葉でなければ、生徒のこころには届きません。そして、体罰は「傾聴と共感」の欠如がもたらす結果です。
「本当は言葉じゃなくて感覚だよね」というのは、感性、センスの問題です。芸人さんには笑いをとる内容とタイミングがありますが、先生にもそれは大いに必要です。
注意する、褒めるタイミング、掛ける言葉など、センスの良し悪しが問われます。これを見事に外し続けると生徒からの信頼をなくします。伝えたいことが伝わるのは信頼関係が成立しているからです。
先生に求められる能力を言い当てる太田さん、さすがにセンスが良いなと思いました。