冬晴れの昨日、3年生から1年生まで10名の生徒が参加した地歴探索塾で京都に参りました。先月中旬、3年生の校外学習で行った時と同じく、四条大橋のたもとで集合し、八坂神社を経由して霊山歴史館を訪ね、幕末維新の志士たちの足跡を偲びました。
西郷隆盛や近藤勇らの書はイメージ通り勢いを感じるものでしたが、どこか粗野な感じがしました。一方、15代将軍・徳川慶喜の書は意外にも勢いがあるとともに、そこはかとなく品格が漂っており、名門水戸家の教養のなせる業を見る思いでした。
慶喜が薩長と本格的に戦えば、後ろに控えるイギリス、フランスの介入を招き、国を二分する内乱となり、外国を利するのみと考えて敢えて戦を避けたと言われ、その決断が日本の近代化に益したという評価があります。しかし一方では、本気で戦えば十分勝算はあったとの見解もあります。鳥羽伏見の戦いの後、大阪城に兵士を置き去りにして軍艦で江戸に逃げ帰えった慶喜には大将としての拘りがなく、自ら勝機を逃したのではないかと思えます。私は以前から、慶喜を名君とする評価には疑問を持っています。
「歴史は勝者が作る」と言われます。幕末、志士たちが尊王攘夷を唱えていた時、外国事情に通じた幕府官僚は攘夷の無謀さと西洋技術の学びの必要性を感じていました。実は彼らの方が先見性があったのではないでしょうか。イタリア・ルネッサンス期の政治思想家マキャベリの『君主論』を読むと、「民は勢いにつくも義につく者少なし」という感を強くします。会津藩や越後長岡藩の悲劇はまさにそれを物語っています。幕末維新の激動期を彩った志士たちの書や刀剣を鑑賞しながら暫し歴史のロマンに浸りました。
昼食休憩を挟んで、二条城に参りました。本丸は修復工事中で入れないのはわかっていたのですが、なんと二の丸も火曜日は入れないとのことで、残念ながら松と苔むす庭の散策に終わりました。歩きながらあるいは電車の中で交わす生徒たちとの会話もまた飾るところがなく、楽しいものでした。家に戻ると、歩数は2万歩を超えていました。