明日の3学期始業式を前に、今朝の職員朝礼で年頭の挨拶として、以下の2つのことを話しました。
先ず、仕事の効率化を図ること。但し、手抜きと効率化は違う。優先順位を付けて仕事をする。明日できることは明日に延ばせばいいが、今日やらなければタイミングを逸することは何が何でも今日中にやる。そして時に諦めることも必要。諦めるとは明らかに究めること。あれやこれやと万策を考え尽くした結果である。自分一人で抱えず他者の協力を仰ぐことも肝要。「人事を尽くして天命を待つ」ことである。ICT化はICT化そのものが目的となってはいけない。効率化に役立つのでなければ意味がない。
次に、生徒に対して、「魚を与えず、魚の釣り方を教える」こと。平生の授業、定期考査や生徒指導がそうなっているか。特に生徒指導において傾聴と共感が必要である。それは
長く時間をかけて相手の話を聴くことではない。生徒と教員の間に信頼関係が成立することが前提となる。信頼関係が出来れば、生徒は心を開き自分の悩みや思いを吐露するようになる。実際に口に出して語ることが自分を見つめ直し、自己発見することにつながる。これを通じて生徒自ら問題解決に踏み出す力を引き出すことが出来る。これが実現できるのが本当の傾聴である。これは安易な自己責任論とは全く違う。
私は人に語ることで、自分の考えを再確認し、また自戒し、自分の“やる気スイッチ”を入れています。
さて、長期休暇中には長編小説や難解な書物に取り組むのを常としています。最近では、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」やガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読みました。今年の冬休みは吉川英治の「三国志」に挑戦しました。最近ではオンラインゲームでお馴染みの人も多いと思いますが、私世代で思い出すのは人形劇「三国志」です。NHKで1982年から1984年にかけて放映され、島田紳介さんや松本竜助さんが声を担当していました。劉備玄徳、曹操、孫権、関羽、張飛、諸葛孔明など多彩な英雄が登場します。
裏の裏をかく権謀術数渦巻く後漢末期の歴史には学ぶところは多いです。
劉備、曹操、孫権ともにしばしば負けます。特に劉備はよく負けます。ある時、劉備の敗戦に際し、関羽が「勝敗は兵家のつね。人の成敗はみな時ありです。―――長い人生において得意に驕らず、滅失に墜ちいらず、動ぜず溺れず、出処進退、悠々たることが、難しいのではございますまいか」と語り、泥魚(いでい:泥にまみれた小さな魚)の生き様を以て諭す場面があります。大河が干上がっているときは泥にまみれてじっと耐えている魚は、大河が満つると、生き生きと泳ぎ出します。人間にも幾たびか泥魚の隠忍にならうべき時期があるというのです。まさにレジリエンス、挫折力です。
なかでも教訓となるのは、トップは人の話をよく聞いて判断すべしということでしょう。その人にも私利私欲に走る佞臣もいれば、孔明のような名軍師もおり、見極めこそ大切です。仁者といわれた劉備は関羽、張飛そして孔明あっての劉備でした。仁者であったからこそ逸材が集まったともいえます。アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘に曰く、「自分より優れた者を集めた者ここに眠る」にも通じます。暫し中国の雄大な歴史ロマンに浸ると私の悩みなど芥子粒のように思えます。