生徒から校則や行事の在り方について質問やお願い時には苦情を受けることがあります。私は常に「何故、そうするのか」を丁寧に説明することを心がけています。従来までとは異なる考え方に変更する場合にはその理由を説明します。それは、筋道だったものの考え方を示し説明責任を果たすことが信頼を得るうえで大事だと考えるからです。そして、論理的思考力というのは、教科の学習からだけではなく、学校生活の日常の疑問からより身近に学ぶことができます。「それは学校の決まりだから」とか「校長先生が決めたから」というのでは、説明にはならず、生徒の納得はえられません。
さて、日本学術会議の会員候補者の任命拒否問題が話題となっています。関係法令を見ますと、学術会議からの推薦に基づき内閣総理大臣が任命することになっていますが、総理に選択権があると解釈できる明確な記載がありません。まさに全体を俯瞰すれば、総理の任命はあくまで形式的なもので、学術会議の推薦者をそのまま任命するという1983年の中曽根内閣時の国会答弁も妥当だと考えられます。今回、この解釈を変更されるのなら、その理由と選考基準等についての説明はやはり必要だと思います。
マスコミや一部学者から、総理による拒否は「学問の自由を侵害する」という批判が出ています。学術会議メンバーに選ばれたいと思う人は、政府の方針に反対する意見を控えるかもしれません。しかし、学術会議のメンバーにならなくとも意見を自由に開陳できる場はいくらでもあります。これをもって直ちに学問の自由の侵害に当たるというには無理があると思います。そしてまた、気骨ある学者は在野にあってこそ光るのではないでしょうか。
ただ、学術会議が一方に偏らない多種多様な意見や考え方を持った科学者で構成され,時には政権に耳の痛いアドバイスもすべきだという考え方は理想的だと思います。しかしながら、現実問題として、総理に任命権があるとなると、その時の総理の考えにより左右されても致し方ないところもあります。このように考えると、今回の一件は、学術会議のあり方を国会でしっかりと議論する良い機会ではないかと思います。
一連の教育改革の中で、「論理的思考力」や「問題解決能力」の育成が掲げられています。しかし、政治家や官僚の答弁を聴いておりますと、非論理的ではぐらかしが多いと感じます。関係各位にはこどもたちの手本となる生産的で説得力のある議論の展開を期待します。