好文木(校長ブログ)
2019.05.25
部活と体罰

 いじめ問題もさることながら、残念ながら、部活動における体罰も依然なくなりません。市立尼崎高校で男子バレー部のコーチによる体罰が発覚しましたが、その後の調査で体罰の常態化が確認されています。
 私は時々登下校途中や校内で部活の生徒に声をかけて楽しくやっているかトラブルはないかを訊くようにしています。また、毎朝、校門で生徒の顔を見ているので変化があれば気づきます。幸い、顧問やコーチによる体罰は聞こえてきませんが、たまにクラブの生徒間でのトラブルをキャッチすることはあります。また、本校には校長ポストという目安箱がありますので、匿名での投書が可能です。部活に限らず、体罰と認識できる行動については就業規則に定めた懲罰規定に従い厳しく対処します。
 校長になった12年前はまだやんちゃな生徒も入学してきており、生徒指導の出番が多かった時代です。私は率先垂範、徹底的に話し込む生徒指導を通じて生徒との信頼関係を築いていきました。あるクラスには、担任、生徒指導部長、副校長、私と4人がかりで関わりました。一見、ダメ生徒たちが多いように見えましたが、どうしてなかなか、義理と人情と浪花節の通じる子どもたちでした。私はこのクラスの子どもたちが好きでした。
 ある日そのクラスの中の一人の生徒から次の様な話を聴きました。「私は中学の時は反抗的だったので教師によく殴られていました。教師も学校も敵でした。でも、この学校に来て初めて人間扱いをしてもらえました。うちの担任はダメなことはダメだと怒るけど、決して暴力は使わない。ちゃんと言葉で諭してくれます」と。教師の愛情の差を感じました。この生徒、卒業して短大に進学し保育士として立派に働いています。一度保育コースの在校生向けに話をしにも来てくれました。
 さて、部活動に話を戻しましょう。以前、あるクラブで生徒たちがしょっちゅう顧問に叱られている場面を目撃していたことがありました。あまりに頻繁なので生徒たちにそれとなく事情を聴きましたが、彼女たちは自身の未熟さも感じていたのではっきりとは言いませんでした。そのうち保護者からお話を聴くこととなり、顧問の発する「言葉」で生徒が傷ついていることが分かり、顧問を呼んで注意しました。
 ややもすると運動部の顧問は言葉がきつくなります。そばで聞いていてあまり良い気分にはなりません。しかし、運動部はそんなもんだという共通認識のようなものがあり、また、部活は顧問に任せているので余計な口出しは控えようという遠慮もあるようで、これを咎める教員はほとんどいません。これが体罰への道を開くのだと思います。
 部活の生徒との信頼関係ができているから、荒っぽい言葉を使っても、怒鳴っても大丈夫だと思っている教員もいますが、だれでも荒い言葉より丁寧な言葉を好むのは当然です。
 百歩譲って当事者同士は何とも思っていなくとも、周りで聞いている生徒はけしって良い気持ちにはなりえません。こういう場合も顧問にチクリとくぎを刺します。
 今回の尼崎の事件をもって、学校における全ての部活動を断ずる愚は避けねばなりません。日本中には生徒に寄り添い寝食も忘れて部活動に尽力している沢山の先生がいます。その先生たちの努力が多くの生徒の成長に寄与してきたことも事実だと思います。
 しかしながら、部活動が教員にとっても生徒にとっても負担となっている側面もこれまた事実ではないかと思います。私は朝練から始まりほぼ毎日部活では、宿題をしたり本を読んだりの時間があるのだろうかと思います。連休も夏休みもクラブ漬け、如何に好きな競技でもちょっとやり過ぎではないかと思います。実際話を聴く中で現にそう感じている生徒はいます。顧問にとっても家庭があります。常に家庭を犠牲にして日曜も祝日も長期休暇中もクラブ指導というのはどう考えても健全な姿とは言えません。お互いの余裕のない状況が暴言や体罰を生む温床ともなりかねません。
 本来、スポーツは楽しむべきものだと思います。しかし、そのスポーツが部活動となると、教育の一環としてとらえられ、責任感や連帯感の涵養が求められます。この美名のもとに過てる解釈から理不尽な部内の上下関係やルールが生まれることもあります。顧問は十分気を配らねばなりません。楽しいはずの部活が苦痛となり、好きだったスポーツが嫌いとなるとすれば、そんな部活はやらないほうがいいと思います。
 私は本校の行動基準である「それは本当に生徒のためになるか」に照らし合わせて、部活動の現状を総点検してみたいと考えています。

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