
先週末、石破首相が戦後80年に当たっての所感を発表しました。党内では不要論が出ていましたが、私は極めて妥当なものだったのではないかと思います。
日本が無謀な戦争に突き進んでしまった原因を無責任なポピュリズムとそれに迎合した政府や議会そしてマスコミに求め、大勢に流されない政治家の矜持と責任感を持つ必要性を訴えています。また、1940年に戦争を批判した斎藤隆夫議員のいわゆる「反軍演説」の3分の2が当時の議事録から削除されていることを問題視し、復活を示唆しています。
私は『斎藤隆夫かく戦えり』(草柳大蔵著)を随分前に読みました。1981年の出版ですから大学を出て就職したころでしょうか。「反軍演説」は日中戦争の処理を政府は本気で考えているのかを質したものです。「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界平和、かくのごとき雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」。国家競争は道理や正邪曲直の問題ではなくつまるところ力の競争であり弱肉強食の世界であるにもかかわらず、きれいごとを並べ立てているだけでは適切な処理はできないと述べているのです。そしてまた戦争では前線の多くの兵士や銃後の国民が塗炭の苦しみに喘ぐ中、関連産業や一攫千金で莫大な利益を上げている者もあり、この不公平を調整する責任が政府にはあるとも述べています。そもそもこの戦争は東亜新秩序の建設のために行われたはずにもかかわらず、今になってその原理原則や精神的基礎の研究を始めていることに疑問を呈しています。そして近衛声明の「国民政府を相手にせず」で蒋介石との交渉を拒絶し、汪兆銘による親日的な新政府の支援をするということに関して、その妥当性にも懸念を表明しています。明確な方針を示さぬまま泥沼の戦争にはまり込んでいる政府の責任を問うているのです。
この演説を今読み直すとき、現在の国際情勢にも通じる真理を読み取ることができます。平和の祭典、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした大阪関西万博が開催された一方でロシアのウクライナ侵攻は続き、何度目かの和平交渉が合意に達したイスラエルとパレスチナの今後にも懸念が残っています。彼は単なる理想論者ではなく現実を直視した自由主義者であり、大勢に抗う勇気を持った政治家でした。
党内野党としてリベラルな考え方を持っていたにもかかわらず、首相となっては現実に飲み込まれて変節の批判を受け本領発揮できず退陣を余儀なくされた石破首相の思いが、戦後80年の所感であり、斎藤隆夫の「反軍演説」の全文記載復活であったのだろうと思います。