2018.11.19
恩師の思い出

 先日、喪中はがきを頂き中学時代にお世話になった塾の先生が96歳の天寿を全うされた旨を知りました。往時の感謝を込めてご冥福をお祈りしたくお線香を送らせて頂きました。
 約50年前、学力が及ばず私立の進学校への受験を諦め地元の公立中学校に行くことになった私は、捲土重来を期し入学するとすぐ森田塾に通い数学の勉強を始めました。私は小学校では算数が苦手でした。進学塾に行っていましたが授業についていけません。成績が伸びないため父に怒られ、毎晩「勉強を見てやるから来い」と、何時間も問題を解かされるのですが、できません。怒号は飛ぶは殴られるはで全くもって恐怖の時間でした。
 それが、中学に入り森田塾に通い始めると数学が分かりできるようになり面白くなりました。特に幾何の問題を解くのが好きでした。「彼にはセンスがある」と言われたと母が言うと、「ほんまかいな?」と父が驚いたことを今でも覚えています。
 最初、森田塾はJR(当時は国鉄)の六甲道駅の南側にありました。古い木造二階建ての長屋の一角で一階に二間あり、急な階段を上って二階の一間で7~8人が授業を受けていました。森田先生はガリ版刷りでわら半紙のプリントをつくり、板書は定規を使い実に几帳面で分かりやすかったです。先生は小太りで目がぎょろっとして一見すると富岡鉄斎の描く達磨に似ており怖そうな感じがしました。夏はランニングとステテコ姿で手には「精神注入棒」と名付けた細い棒を持ち、居眠りする生徒には時折この棒が肩にビッシと飛んできました。
 夜8時ごろになるとみんなお腹がすいてきます。そんなころ上手い具合に夜泣き蕎麦屋が回ってきます。チャルメラの音が聞こえると、先生は「おい、延原、みんなの分ラーメン買うて来い」と言って腹巻から財布を取り出しお金を渡してくださるのが常でした。あの時食べたラーメンの味は本当に旨かったです。後で聞いた話によれば、経済的にしんどい子からはお月謝をとっておられなかったとか。実に人情味ある先生でした。
 国語と英語は森田先生のお仲間の先生のところに行って勉強していました。みんな日曜日はこの三か所を順番に回って勉強しましたので、朝早くから夜遅くまでよく勉強したものです。しかし、つらいという気持ちは全く起きず、むしろやりがいを感じていました。
 受験が近くなると森田先生は半紙に一人一人に向けて激励の言葉を書いて渡してくださいました。私には「お前は力はあるが気が弱いから」と言って『今に見ておれ』と力強く大書してくださいました。
 お陰で希望の高校に合格できましたが、ここで気を抜き大学受験では二浪する羽目となりました。その時も東京の下宿から森田先生にお願いして『今に見ておれ』の半紙を送って頂きました。私は初めて幼稚園に行ったとき帰りたいと言って泣くような気が弱く神経質な子供でしたが、中学受験と大学受験での挫折を経験しつつ『今に見ておれ』は私のスローガンとなりその後の人格形成に影響を与えたように思います。

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