2018.12.13
担任力

 先月末、連休の狭間の土曜日、休日にしていたのですが、梅田に出たついでに学校に寄ってみました。ソフトテニス部と弓道部が練習をしていたので、各々暫く見学をして、そろそろ帰ろうと職員室前の廊下を歩いていたら、大学2年と3年になった特進コースの卒業生が訪ねてきました。土曜日だから授業があり先生がいると思って、お世話になった先生と3年生へお菓子を持って来てくれたのです。
 「今日は休みなんだよ」というと、とても残念がっていましたので、そのまま帰すのも気の毒なので、校長室に招き入れて近況を訊きました。大阪府立大学と同志社でともに心理学を学んでいますが、府立大学で学んでいる生徒は大学院まで行って勉強しカウンセラーの資格も取りたいと言っていました。同志社で学んでいる生徒は本校に戻って教員になりたいと考えています。今の学部学科では公民の免許になるのですが、英語の免許を取りたいので通信でとる予定とのこと。両名とも進学後もしっかり目標をもって勉学に勤しんでいる様子が分かり大変安心するとともに嬉しく思いました。
 卒業生が母校の教員として戻ってきたいと考えていてくれることは大変うれしいことです。ただ、生徒として過ごした学校生活は「過ぎてしまえばみな美しい」ところがあるのですが、教員として仕事をする学校現場はなかなか厳しいところがありますので、教員の心得につき、校長室から見える職員室の後ろの壁にかかっている「行動基準はいつも それは本当に生徒のためになるか」を指し示しながら、「傾聴」と「共感」について具体例を出しながら話をしました。頷きながら熱心に話を聴いてくれました。
 大阪芸術大学短期大学部保育学科長・教授の西林孝三郎先生は、ご自身の長い教員経験から学級担任の役割につき次のように述べておられます。「まず、自分の学級の子どもたちを好きになることだ。ご自身の教え子さんに、影響力のあるのは、何を置いても、学級担任に勝るものはない。 (中略) 子どもと生活を共にしている実感があれば、子どもの動きは手に取るように分かる。もし、それが見えないようなご自身であれば、早期に転職をお勧めする。ご自身のためにも良くないし、何よりも子どもにとっては、良い迷惑である。自分たちの目の前に居る担任が、自分たちのことを理解しようとしてくれないならば、子どもたちは寄り添ってはいかない。誤解を怖れずに言うならば、「教員に向き、不向きはある。」徹底して子どもの心に寄り添い、子どもの思いを満たせてやろうとする人でなければならない」(教育PRO 2018.12.4号)
 西林先生の言われていることは、先の好文木で紹介した中島義道氏の「からだで考えること」、「ものごとはひたすら細部をみなければならない」ということにもつながると思います。教師というのは極めて人間的な職業です。知識やスキルがあるだけでは十分ではありません。特にこれからは知識やスキルはAI(人工知能)が肩代わりしてくれます。
 「子どもを好きになる」、「生徒を愛する」ということは、子どもや生徒の良いところだけではなく悪いところも含めて、人間というものに対する慈しむ気持ちだと思います。もう高校生にもなれば事の善悪・是非はわかっています。「にもかかわらずなぜ?」と考えるとき、その子の背景に目がいかねばなりません。子ども一人一人にドラマがあります。中島氏の言う「理不尽であるからこそ、そこにさまざまなドラマを見ることができる」のであり、「そこに、さまざまな人間の深さを見ることができる」のです。それを通して「目が鍛えられ、耳が鍛えられ、思考が鍛えられ、精神が鍛えられ、からだが鍛えられる」のです。教師こそ探求心と学びが必要です。教師とはそういう仕事だと思います。

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