2021年度からの大学入試における英語4技能を測るための民間試験実施見送りに加えて、国語と数学における記述式も見直しになりそうな状況となっています。英語については萩生田文科大臣の「身の丈発言」が引き金になり、生徒の住んでいる地域や保護者の経済力により差が生じ公平ではないとの批判によりに見直されることとなりました。また、記述式については正解の基準や採点者の妥当性が問題視されています。
私は教育再生会議が高大連携の入試改革を打ち出した時から、この改革に疑問を感じ機会を捉えて度々発言をしてきました。(2013.5.27好文木「英語教育を考える」、教育プロ2015.8.25号特集「第2回高大接続研究会」等)
理由はより根源的なところにあります。先ず、グローバル人材育成を目的とすることの是非、次に小学校からの英語教育の是非、そして大学入試を変更することありきでの教育改革論の是非です。
そもそも教育の目的は自立貢献に尽きます。そしてそれを達成する方法は人それぞれです。本校では「自分サイズの未来を拓く」とキャッチフレーズに謳っています。しかしグローバル人材育成となるとその特性はかなり絞られてきます。すべての生徒・学生がその要素を備えもたないといけないものでしょうか。人生いろいろであって良いと思います。グローバル人材育成は日本経済の成長に寄与する人材育成論であって個人の幸福を目指すものではありません。
英語教育については話せないことへのコンプレックスが強く表れているように思いますが、日常生活が日本語で十分なのですから仕方ありません。但し、外国の情報に触れ知識を吸収するためには文章が読めなければなりません。読むためには単語を理解し文法が分からねばなりません。この教育をしっかりしておけば、書くこともできます。聞いて話すことは必要に応じて集中的に訓練をすれば良いことです。またネイティブ・イングリッシュでなくともコミュニケーションは充分図れます。今はむしろ、会話を重視し過ぎるあまり文法が分かっていない生徒が増えています。日本語ですら危うくなってきているのに英語教育どころの話ではないと思います。
論理的思考力や問題解決能力を身に付けさせるための大学入試改革についても、中途半端の域を出ません。わずかな記述ぐらいでどれほどのことが判るのでしょうか。各大学が自身のアドミッションポリシーに沿った独自入試を実施すればよいと思います。
私は息子が中学から留学し英国の大学を出たので、英国の教育システムについては概略理解しています。小学校から大学まで一貫性のあるシステムが確立しています。16歳の時にはGCSE(General Certificate of Secondary Education)という全国一律の学力テストがあります。これは義務教育終了確認テストのようなものです。教科はたくさんある中から8~11教科を選びます。各教科A*(エースター)からGまでの評価が付きます。ここで一定以上の成績をとれば、日本でいう高校2、3年生の5th form と6th form次で大学入試のための試験Aレベル(Advanced Level)が受験できます。
Aレベルは当初4教科で前半を受け最終的には3教科に絞ります。各大学各学部ごとにAレベルでAAAとかABBとかEntry Requirement(応募資格)が決まっています。これに合致するかどうかで合否が決まります。各大学の独自入試はありません。ただ、オックス・ブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)と医学部については面接が課せられます。面接ではかなり専門的な質問がなされると聞きました。ですからこれで落ちる生徒も沢山います。
GCSEとAレベルの試験は日本のように一回のペーパー試験だけではありません。エッセーやコースワークのレポート、実験など何種類ものテストが長期間にわたって行われ、その総合得点で90点以上ならA、70点以上ならBという評価になります。エッセーやレポートの評価基準もきちんと決められています。
また、大学は最初6校まで願書が出せますが、志望動機や自己PRを書いたPersonal Statementは共有されるので学部を一つに決めねばなりません。Aレベル前半の試験は高校2年生次に行われ、年明けから3月にかけてConditional Offer(条件付き合格)が出されます。これは高校3年の夏に行われる後半の試験結果が前半の結果と同じという条件なら合格という意味です。後半のほうが難しいので最後までやってみないとわかりません。このConditional Offerが出た段階で大学を2つまでに絞らねばなりません。そして第一志望と第二志望を決めます。最終の合否は8月中旬ぐらいにわかるので9月半ばからの大学生活開始まであまり時間はありません。
英国の教育システムと比べると、今回の日本の高大接続の入試改革は、経済成長を担うグローバル人材育成を急ぐあまり、拙速で付け焼刃なものになってしまったと感じます。アクティブ・ラーニングや英語4技能、プログラミング教育などの導入は、教育産業に新たな市場を提供することにはなりましたが、生徒や学校現場には負担と混乱を招いただけで、漱石流に言うならば「皮相な上滑りの開化」の感が拭えません。