
「東大・京大・早慶 全国44の大学で1位」という帯のPR文言に惹かれ、外山滋比古氏の『思考の整理学』(ちくま文庫)を読みました。40年前に刊行されたものに、2009年の東京大学での講義を新たに付け加えたものです。
『足型をはめられた子どもたち』(講談社+α新書)はそのタイトルに興味を持って読んでみました。こちらは現役引退後、全国の小学校に招かれ3000時間の飛び込み授業を行ってきた元教師菊池省三さんの著書です。
外山さんは「学校はグライダー人間の練習所である。飛行機人間はつくらない」と述べています。「学校ではひっぱられるままに、どこへでもついていく従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する」。「学校が熱心になればなるほど、また、知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受け身にする。本当の教育には失敗するという皮肉なことになる」。
菊池さんの本には驚くべき公教育の実態が書かれています。ある小学校では児童がきちんとした姿勢で授業を受けるように、椅子の下に足を置くべき足型が置かれていたといいます。菊池さんは子どもを一方的に従わせるのではなく、教室を心が落ち着き安心できる環境にし、共に学びあえるようにすることが大事だとして、一方向の授業ではなく互いを理解しあう技術を身に着けるコミュニケーション科の授業の必要性を訴えています。そしてこの授業を通じて、答えが決まっている「絶対解」ではなく、みんなで考え続け見つけ続ける「納得解」を求めるべきだと説いています。
「グライダー人間」と「絶対解」、「飛行機人間」と「納得解」は同じことを言っているのだと思います。
昨今、「探究」流行りですが、「探究」の授業に困っている教員が多いことは周知の事実です。そもそも探究は自ら学ぶ中で、より深く学ぼうとする意欲から生まれるもので、「はい、これが探究です」といって教師が与えるものではないはずです。たとえ与えたとしても、基礎学力や知識がなければ効果は上がりません。「求めよ、さらば与えられん」とは言いますが「与えよ、さらば求められん」とはなりません。
文科省は以前から教育再生会議などの諮問機関の提案を受けて学習指導要綱を見直してきていますが、「飛行機人間」が多くなってきたとは感じません。大多数は「グライダー人間」のままです。そのうえ最近ますます世間全体が「納得解」から「絶対解」へと流れ「白か黒か」の対立構造を強めています。SNSの匿名性が独善的な思考に拍車をかけています。この「白か黒か」発想は戦争につながります。「納得解」を求めるのは外交努力に等しいものです。
私は常に一度立ち止まって「なぜ?」と考える姿勢が大事だと思っています。生徒から「なぜなんですか?」と聞かれれば、「白か黒か」で答えることはなく、納得解を示すようにしています。生徒とのキャッチボールが「飛行機人間」をつくるささやかな一歩だと思っています。







