
伊東市の田久保市長を巡る学歴詐称疑惑は、市長が辞任し出直し選に立候補を表明という決着になりました。大学を卒業していなかったのにしたと嘘をついていたという批判に対し、市長は卒業したと思っており、確認して初めて除籍になっていたことがわかったとしています。
そこで学歴について考えてみます。学歴はないよりあったに越したことはありません。実際に学歴社会は世界の常識です。本来の学歴とは何をどのように学んできたかが大事であり、大学に入って以降の学びが重視されるべきですが、日本はどの大学卒かが重要視され何を学んだかまでは特に文系ではあまり重視されてきませんでした。大学での学びが企業における仕事に直結しないと考えられていたからで、欧米と大きく異なるところです。
本校では設置しているコースの関係で看護師や保育士、幼稚園教諭あるいは漫画家やイラストレーターの道を選ぶ生徒が多いのですが、世間一般的には企業で働く人が圧倒的に多いのが現実です。一般企業での就職を希望するのならば、できるだけ評価の高い大学に進むほうが有利です。就職時の選択の幅が広がるからです。企業は大学名では差別しないといいますが、実際には学歴フィルターが存在します。理由は、短時間の面接でその人の能力を知ることは難しいため、大学受験の結果で観るからです。一生懸命勉強をして難関大学に入ったという努力は十分評価に値します。受験勉強では学力のみならず忍耐力や継続力など非認知能力も養われ、これは入社後も必要な能力です。従って採用判断時には学歴、学校歴は有用性が高いのです。しかし、入社後は仕事での実績が評価対象になりますから学歴、学校歴の有用性は次第に薄れていきます。逆に「あいつ○○大卒なのに仕事はできないな」なんてこともあり得ます。つまり就職の突破口を開くのが学歴、学校歴であり、学歴には賞味期限があると言えます。
私の母校は有名人に中退が多かったので、卒業より中退のほうが出世するといわれたものです。もっともその人々は一般企業に就職するのではなく違った道で才能を開花したのですが。市民運動から市議になり現職を破って当選された田久保市長も、学歴に拘る必要はなかったと思うのですが。