日経新聞が、「人間は引き算の決断が苦手で、足し算にこだわる」というバージニア大学の研究結果が英科学誌ネイチャーに発表されたと報じています。たとえ話として、ベッドの足が一本は大丈夫だが3本が壊れている場合、その3本を直そうとするが、全部足をとってしまうという思考にはなかなか到達しないことが書かれています。これは、一種の発想の転換ですが、「引き算」とは「撤退」や「やめること」でもあります。
英仏共同で開発された超音速旅客機コンコルドは、その巨額の開発費用がゆえに採算が取れないことが明らかになったにもかかわらず、なかなか開発中止の決断を下せませんでした。この事案から、かけた労力や資金が惜しまれ、それを取り返そうとさらに資金や労力をつぎ込み、損失が拡大してしまうことを「コンコルドの誤謬」と呼びます。株式投資には「見切り千両」という格言があります。どこで見切るかの判断が大事です。
授業時間と学力の伸びは一定のところまでは正比例しますが、授業時間を増やせば増やすほど学力が伸びるというものではありません。経済学でいうところの「収穫逓減の法則」が働くと思います。本校の特進コースは他コースより1時間多い7時間授業ですが、他校では、0時間や8時間、9時間授業を入れているところもあります。そこでよく耳にするのは、自習時間が取れず効率が悪いという生徒の声です。一定の授業量をこなすと後は自分のウイークポイントを強化するため復習ができる自習時間や個別指導が必要です。それを過重な授業時間で奪ってしまっては元も子もありません。どうも教師には授業時間を増やして安心してしまう傾向があるように思います。
件の記事は、「引くという選択肢を見落とす思考の欠陥がある」と述べています。どうしても我々は、少ないよりも多いほうが安心する傾向があります。あったものをなくすのには抵抗があります。これは成長神話にとらわれ過ぎているからかもしれません。しかし、少子化と低成長時代に入った今、成長から定常化へ発想を転換すべきとの見方もあります。働きかた改革や非効率な仕事の見直しは必須です。それには手段と目的の混同を避け、時に手段の見直しが必要であり、その結果として「引き算」という選択肢も出てくると思います。校務運営においても「引き算」を念頭に入れて見直す時期に来たのではないかと思います。