先日、数年前の卒業生からLINEをもらいました。コロナ禍で気の沈むニュースが多い中、とても嬉しい便りでした。
彼女との出会いは、入学式が終わって間もない一泊研修の日でした。彼女は遅れて学校にやってきました。バスはもう出発していました。私は自分の車で追いかける予定でしたので、「学校に残る?それとも行く?行くなら連れて行ってあげるよ」というと、「行く」というので、車に乗せて現地に向かいました。何分初対面ですから、遅れた事情を根掘り葉掘り訊くのも良くないと思い、車中ではあまり多くは話しませんでした。現地に着いたものの、クラスに合流する気配は全くなく、結局また私が大阪まで連れて帰ることになりました。
「最寄り駅まで送るから、無事に家に帰りついたら担任に連絡を入れるように」と言いましたところ、「校長先生に連絡します」というので、私の連絡先を教えました。
これをきっかけに彼女との3年間が始まりました。彼女はお母さんとの折り合いが悪く、学校も休みがちでした。卒業した後も成人式の写真を送ってくれたり、大学の単位の件で相談が来たりしました。一度会って近況を訊ねたこともありました。
今回は久しぶりの連絡でした。「今まで生きていて楽しいとか幸せだとか思ったことはなく、家族のことでも悩み、高校では毎日が楽しくなくていつも文句ばかり言って、いつ死んでもいいと思っていたし、周りの人はみんな嫌いだった」と書いていました。確かに何事にもやる気がなく、文句はよく言っていました。自分の置かれた環境に希望を見出せず自棄になっているように感じたものでした。「自分のことを棚に上げて」と思わぬこともありませんでしたが、この環境ならそう思うのも仕方ないと思って、色々話を聴いて相談に乗っていました。
しかし、そんな彼女も、去年、女の子を授かり、初めて本当の家族が出来た気がして毎日がとても幸せだと感じられるようになったそうです。これが夢だとしたら覚めないでほしいと、夜眠るのが怖いそうです。「母になって、人生が変わり考え方も今までとは真逆になっていろいろ思うことが出来た」と言います。「母は強し」というか、愛する人が出来たら、人はその人のために生きようと前向きになれるものなのでしょう。素敵なことです。
最後に次のように書いていました。「あの時はお世話になりました。たくさん迷惑かけたり振り回してすみませんでした。ありがとうございました。今は、ずっと文句ばっかり言っていたのに、いつも話聞いてくれて優しかった校長先生みたいな大人になりたいと思っています」
私は特別なことは何もしていません。ただ話を聴いていただけです。彼女の高校3年間において、とまり木の役目を果たしただけだろうと思います。今の幸せは、彼女自身がチャンスを掴み運命を変えて獲得できたものだと思います。彼女が幸せな家庭を築くことを心から願っています。君に幸あれ。