11月25日の日本経済新聞朝刊教育欄における中央大学教授古賀正義先生の「揺らぐ高校の役割~人間関係築く教育を」と題した記事を読みました。実に的確に高校の現状を分析されていると思い、運営委員会メンバーにこの記事のコピーを配布しました。
古賀教授は「将来の進路を模索し多様な人間関係を築く場であった高校がその機能を失い、いまや高校は接触可能な相手を探し出し対人関係を支える唯一の場になっている」と論じておられます。東京都内の都立高校中退者へのアンケートでは、遅刻や欠席など生活リズムの乱れと友達とうまく関われなかった対人関係の歪みが最も多い退学理由となっています。「広がりのない閉じた関係に生きている若者が実に多く、閉じた関係は、閉鎖的な対人ネットワークに益々期待し、そして失望するという悪循環を作り出す」とも述べておられますが、まさにその通りだと思います。
私は校長就任以来ずっと校長室をオープンにしているので、たびたび生徒から対人関係の悩みの相談を受けることがあります。特に女子の場合は仲良しグループができると、そのグループでの対人ネットワークに過大な期待を寄せがちです。そして一旦意思疎通が壊れると、もうそのグループに残れず、かといって他のグループにも移れず、孤独感にさいなまれ失望して学校を去るというケースが多々あります。
生徒と話していると彼女たちは良くも悪くも「あるべき論」の虜になっていると感じます。「沢山の人と友達になるべき」、「クラスのみんなとは仲良くすべき」、「学校は楽しくあるべき」等々。たまに同調圧力に抗して孤高を保とうとする生徒もおりますが、私はそれを否定はしません。人には好き嫌いがあって当然。嫌いなものを好きになれと言っても無理です。ただし、軋轢を生まないために、だれに対しても思いやりをもって丁寧に接することは大切だと伝えます。
古賀教授は「高校という場に、これまでの競争や選抜の論理から離れ社会参加のための窓口を構築していくこと、自立を援助できる人間関係を形成しやすい環境を取り戻すことが必要である」と結論づけておられます。私も人を蹴落とす競争にのみ血道をあげることはナンセンスだと思います。しかし社会は競争と選抜が避けられないというのが現実です。だからこそ他者への思いやりが必要であり共存の思想が求められるということを学ぶことが必要なのだと思います。
高校には授業だけではなく体育祭や文化祭などの学校行事や部活動など人間関係を築くトレーニングの場がたくさん用意されています。生徒たちにその場を利用して対人関係構築力をつけさせることが出来るはずです。しかしアンケートによれば中退者の2割がだれにも相談せず退学を決めており、相談相手がいてもそれは教師や仲間ではなく母親がほとんどだという結果が出ています。正論を滔々としゃべるだけの教員に信頼がおかれていないのだろうと思います。教員には理想と現実のギャップを直視しもっと「傾聴と共感」の姿勢をもって生徒に接することが求められているのだと思います。