今年はかなり桜の開花が早まっており、春の訪れが早そうで、寒がりの私には有難い陽気です。今年もコロナ下にあるので、大勢での飲食を伴う花見は自粛となっていますが、もともと人出の多いところが苦手な私にとっては、むしろ有難く、桜並木をゆっくり散策できそうです。
「ちかごろの日本は、何事も「白」でなければ、「黒」である。その中間が、まったく消えてしまった。その色こそ「融通」というものである」とは、池波正太郎さんの1970年代のエッセイ『男のリズム』の一節です。そしてまた、「融通」という美徳を「なれ合い」という悪徳にしてしまうのも同じ人間だと述べています。
ここ数年、人の気持ちを推し量る「忖度」や臨機応変に事を処する「融通」といった言葉は、すっかり悪役にされてしまいました。政治家や官僚などリーダーの責任は大きいと思います。
池波さんはまた、「科学と機械の暴力を押さえ切れぬ限り、日本の自由民主主義は、百年と持ちこたえられないと思う」と警鐘を鳴らしています。戦後輸入された自由主義や民主主義が、かつての日本の人情味ある世の中をつぶしてしまったとの思いがあったようです。
池波さんは小説の中で、鬼平こと長谷川平蔵など登場人物の口を借りて、「人間はよいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら、良いこともしている」と言わしめる場面が度々あります。そこにはやむを得ぬ仕儀に至った人間の運命に対する惻隠の情がうかがえます。
SNS全盛の今、匿名性を持つSNSの暴力は、人権侵害を通り越して時に衆を頼んでの集団リンチに発展します。そこに傾聴と共感、熟慮の文字はなく、惻隠の情のかけらも見出せません。本人は正しいことを言っていると思い込んでいますが、どれだけ人を傷つけていることか、想像力が欠如しています。偏狭な正義感を振りかざす精神の貧困に心が寒くなります。残念ながら池波さんの慧眼が半世紀後を見通していたということでしょうか。