先日、町田市の高校の教師が生徒に暴力を振るっている動画が配信されニュースになりました。廊下で男子生徒と何か言い合いになり突然殴り倒し引きずり回している映像が流れ、「教師による体罰」となったのです。
ところがそのあと、殴る前からの動画がアップされると、男子生徒が罵詈雑言を教師に浴びせかけていることがわかり、一転、生徒を非難し教師を擁護する意見が多くなりました。
さらに、この高校の校長にインタビューした記者の記事によれば、この男子生徒がいないところで、当該教師が彼を批判する軽口立てたことを後で聞いた生徒が激怒したのが今回の事件の切っ掛けだったようです。
「これは生徒が悪い」いや「生徒も悪いが教師も暴力はダメ」など様々な意見がSNS上で飛び交っています。そのうえ、動画がSNSで拡散されたことにより、関係者の名前、以前の状況など様々な個人情報が公にされてしまいました。
私は以前、「メールやLineなどのSNSは情報の伝達や連絡として使うには便利だが、意見の交換となるとFace To Faceに勝るものはない」と述べましたが、同じことをドイツの新進気鋭の哲学者、マルクス・ガブリエル氏が言っています。
「ソーシャル・ネットワークは伝達の道具としてのみ使用されるべきものだと思うんだ。(中略)インターネットをリアルな社会的活動範囲にまで積極的に広げてしまったら、社会的現実を破壊することになるだろう。僕らはこうして民主主義を壊してしまっているんだ。インターネットは決して民主主義的なメディアではない」そして、ソーシャル・ネットワークは告知の道具として、ただの情報の伝達にとどめるべきで、それを超えることについては、法律的にも禁止すべきかもしれないという趣旨の発言をしています。(『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』NHK出版新書)
テレビやラジオの喧伝効果は言うまでもありませんが、SNSは双方向の交流により多くの人びとを巻き込み主張や意見がヒートアップし炎上、事実の十分な確認がないまま一方向に議論が持っていかれる傾向があります。
いつでも、どこでも、だれでもが言いたいことを言えるからこそ、相手の立場や気持ちを忖度し、適切な言葉を使わなければならないのですが、政治家から中高校生に至るまでそういう配慮がなかなかできません。
ガブリエル氏が言うようにSNSは情報伝達にのみ使用しそれ以上のコミュニケーション手段としては禁止できればそれに越したことはありませんが、現実的には無理があります。
SNSは便利なモノですが、ヘイトスピーチやポピュリズムの温床となり民主主義の敵となる危険性を孕んでいるということを念頭に置いて使用することが肝要です。