2018.09.10
卒業生との語らいから

 先日、3年前の卒業生が来ました。在学中は話す機会が全くなかった生徒でしたが、彼女の現状報告に始まり、好文での思い出など話題は尽きず、気がつけば2時間ほど経っていました。「校長先生とこんなに深い話ができるとは思っていませんでした。今日は来てよかったです」と言って帰ってゆきました。
 彼女は部活動には属していませんでしたが、ごく標準的な快活な高校生でした。学校生活が楽しくて夏休みなどの長期休暇はいらないと思うほどだったと語っていました。3年間の好文ライフを満喫した様子で大変うれしく思いました。
 ただ、身だしなみや文化祭の出し物については生徒指導や生徒会の先生と随分とやりあったと言っていました。「でも、全然聞いてくれないので諦めました」と。そこで、私から「同じような話をしに僕のところに来た生徒もいたよ。なぜそうなのかということについて丁寧に話をしたけどね。また一理あると思った生徒の意見を取り入れたこともあったよ」というと、「校長先生のところまで行こうとは思わなかったので」との答えでした。
 「全然聞いてくれなかった先生たちは、もしかしたら、「それは学校のルール」だからとか「それは校長先生が言ってるから」とか言ってなかった?」と訊くと、「そうです。その通りです」と。今でもこういうことがちょくちょくあります。生徒が私に言いに来ます。
 教員にとっては当たり前のことを生徒から質問されたり不満を言われたりすると、説明するのが面倒で、「学校のルール」や「校長先生」という権威を使って早々と済ませようとしがちなのです。しかし、このような行動は生徒の目には虎の威を借りる狐と映り、その先生の価値を下げてしまいます。そして、何より貴重な教育の機会を失うことになります。
 生徒の主張をよく訊いて、なぜそうなのかということを生徒が納得できるように説明する過程は教員、生徒双方にとって貴重です。私はわかりきったことでも、生徒がなぜそう思っているのかをよく聞く姿勢(傾聴)から入ります。そしてことによっては「気持ちはわかるけど」と共感を示します。そして、なぜそうなっているのかを筋道立てて話します。これは自分の頭の整理にもなりますし、生徒にとっても多面的なものの見方やものごとの道理を理解することにつながります。
 あらゆる機会を捉えて生徒の成長に寄与することが学校教育だと思います。本校では論理的思考を養いディスカッションやディベートを通じてプレゼンテーション力を身に着けようとする「好文白熱教室」という授業があります。この成果も、日常の生徒の疑問や不満にしっかり向き合い取り組む姿勢があってこそだと思います。卒業生と話をしていて反省しなければならないなと思いました。

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