今日の日経にはAIについて異なる二つの記事が載っていました。一面には「アマゾン、偽ブランド品推奨 だまされたAI」、企業面には「教育×AI=個別指導が進化」です。
前者は米アマゾン・ドット・コムのAIを使う検査システムが一部の偽ブランド品を見逃し推奨品としていたというものです。
後者は少子高齢化を背景に従来の集団指導では厳しくなってきたため、学習塾大手がAIを利用したタブレット教材を導入するなど、ITと教育を融合した「エドテック」への対応を急いでいるという内容です。
AIは学習といった既存の知識の吸収と理解にとっては大いに効果を発揮するのではないかと思います。学力の差があるクラスでの集団授業は教師の腕にかかっています。クラスの学力中間層に合わせた授業展開をすると、できる子には優しすぎ、出来ない子には難しすぎるということになります。できる子にもできない子にも満足できる授業となるとかなりの腕前がいります。学力を上げるという点だけを捉えると個々のレベルに応じた個別指導のほうが効果的だと思います。
一方、アマゾンの一件からは、判断業務になるとAIに頼りきりになるのは危険だというのが分かります。
『センスメイキング~本当に重要なものを見極める力』(クリスチャン・マスビアウ著、プレジデント社)は、現在STEM(科学、技術、工学、数学)の重要性が高まる中で、最後は人文科学(文学、歴史、哲学、芸術など)の素養が不可欠であることを述べています。
著者は、この本の中で「一種類のデーターに単に反応するのではなく、あらゆるデーターを理解することがリーダーの役割である。複数の情報源(機械的なものか人間によるものかを問わず)から得られる事実を解釈し、それに応じて戦略を策定するのである」と論じています。
その時の流行につられるのは世の常ですが、昨今は理数系の重要性を唱えるあまり、データー至上主義に陥る危険性を感じます。金融とAIの融合によるフィンテックで銀行の支店の削減が進んでいます。また業務の効率化を掲げてAIによる融資審査も導入されつつあると聞きますが、私が中小企業の経営に携わっていた80年代のバブル時に、ある銀行の支店長が、「最近の若い者は不動産担保の融資に、現地を確認にも行かず書類に書かれた内容だけで判断してお願いに来るんですよ」と嘆いておられたことを思い出します。