菅総理の退陣表明を受けて、日経平均株価は上昇し、新型コロナウイルスの新規感染者数も急激に下がり始めました。ワクチン接種を進めた功績を評価する声も出始め皮肉な結果です。1年前の高支持率からのあまりに早い凋落に、一寸先は闇と言われる政界の諸行無常を感じます。
マスコミは連日、菅総理の敗因の検証を行っていますが、世界各国の例を見ればわかるように、コロナ対策は誰が担ってもそう簡単にいくものではなかったと思います。我々は、進まぬ病床確保とワクチン接種に業を煮やし、「後手後手だ」と感じました。しかし、これらは長年の構造問題であり、容易に改善が難しく、制約の下で、精いっぱいの「先手先手を打った」と総理は考えていたのだと思います。この認識のギャップを埋める丁寧な説明がなかったのは残念です。私は、すべては国民とのコミュニケーションの拙さに起因していると思います。その象徴が無表情で棒読みのスピーチです。
菅総理は自分が総理になるとは直前まで思っていなかったので、準備が出来ていなかったのではないかと思います。ですから、総理となっても官房長官時代のスタイルを変えることがなく、木で鼻を括るような答弁が多く見られました。原稿に目を落としての棒読み批判が大きくなると、プロンプターを使用するようになりましたが、棒読みに変わりはありませんでした。
生徒や学生は、進学や就職に備えて、面接練習に時間をかけます。面接官に志望動機と自己アピールを正しく伝えることが出来るようにするためであり、適切な言葉や効果的な表現方法などを学びます。また、職場でのプレゼンテーションも同様です。いかに優れた製品や企画でも、プレゼンの良し悪しで採用の是非が分かれます。顧客のニーズを満たし、感動を与えるインパクトあるプレゼンが望まれます。
菅総理がスピーチの重要性を理解し、国民への説明責任を果たそうとする真摯な姿勢で臨んでいたら、短命政権に終わることはなかったのではないかと思います。
「好漢、惜しむらくは兵法を知らず」という言葉が過ります。