10月23日付日本経新聞の「Future of education」に「「改革モデル」麹町中の岐路」と題した特集記事が載っています。「『学校の当たり前』をやめた」の著者である元麹町中学校校長の工藤勇一先生が始めた改革が今、岐路に立たされているという内容です。
工藤先生は慣習化した服装指導を廃止し、私服通学を可とし、定期テストを廃止して単元テストに変えました。工藤先生は子どもの主体性を重視し、子どもを支援の対象とみます。『与え続ける教育』では主体性が育たず、結果、自分で社会を変えようとする当事者意識を失うと考えるからです。
改革路線は工藤校長退任後も維持されましたが、今年新たな校長が赴任し、見直しが始まりました。単元テストをなくし、公式ウエア導入が決まり、決められた服装の着用が基本となりました。この変更に対してPTAや一部保護者から不安と進め方の再考が要望されており、保護者や地域住民の賛否が割れています。
工藤改革の中で、体育の授業にフード付きの服で参加する生徒が出たり、学力の二極化が進んだりデメリットが目立ってきたようです。そこで新しい校長の下、学校は勘違いを整え、自己主張に消極的な生徒も安心して過ごせる学校を改めて作る方針に転換しました。指導で導き引き上げながら支援の必要な場面で確実に支えていく考えです。
支援か指導か、波紋が広がっているようです。本校においても、私が校長に就任し17年目となり、工藤先生に倣い指導から支援に変更しようとしています。「自由闊達にして愉快なる学園の建設」を謳い、2学期始業式で全校生徒に話をしました。残念ながら自由闊達を自由奔放と勘違いをしている生徒もいます。人は都合の良いところだけを抽出するものですから、これは想定内です。支援か指導かの二者択一ではなく、その時々の状況に応じた指導と支援の絶妙のコンビネーションが必要です。
自主性や自立にはYesかNoか、白か黒かではなくその中間を理解できる感性が必要です。なぜなら人の世はそう単純に割り切れるものではないからです。生成AIの進歩に期待と懸念が示されており、時代が大きく変わろうとしています。物事の良し悪しを決めるにはひとりひとりの知性が問われています。そして知性の核は感性であり美意識であり、指導と支援のコンビネーションを成功させるか否かは教員の感性にかかっているといえるでしょう。