先日、書店を散策していると、「本物の「傾聴」とは何か?」と書かれた本の帯が目に飛び込んできました。450ページほどの少々厚手の本でしたが、「本物の「傾聴」」という
言葉に惹かれて、思い切って購入し読んでみました。
その書『カール・ロジャーズ~カウンセリングの原点~』(諸富祥彦著 角川選書)は、現代カウンセリングの礎を築いたと言われるアメリカの臨床心理学者カール・ランサム・
ロジャーズ(1902-1987)の思想と方法を紹介したものです。
「傾聴と共感」をモットーにしている私ではありますが、元々は聴くより話す方が勝っています。仕事上で、まどろっこしい説明や、前置きの長い話には途中で割って入ってしまうことがあり、あとで反省する場合があります。なかなか「聴く」ということは容易ではありません。
しかし、生徒の話は辛抱強く最後まで聴くことにしています。それは、生徒の悩みや不満がどこにあるのか、なぜそうなのかを知りたいという探究心のなせる業だと思っています。今回ロジャーズの傾聴に対する考え方を知り、「我が意を得たり」の感を強くしました。
ロジャーズの手法は「クライアント中心療法」と呼ばれ、クライアントの心の内側に入り込み、クライアントその人になり切ったかのような姿勢で理解しようというものです。これはまた、自分の視点や価値観を一旦脇において偏見を持たずに相手の世界に飛び込むこと、即ち自己投入的・没入的理解をもって、共感的に体験することを意味します。
教育についてロジャーズは、人に教えるこができることは、取るに足らない事だと言います。行動に意味ある影響を与えるのは、自己発見的、自己獲得的な学習であるとし、1950年代からアクティブ・ラーニングの重要性に言及しています。また、「教師であることをやめて、ファシリテーター(同行者)になってほしい」と述べています。
ロジャーズは、深く傾聴されることで人は、自分自身の内側を深く探索するようになり、それが、大きな自己発見や、今自分がどうすればよいのかを発見することに繋がり、人を既成概念や倫理の固定性から解き放ち自由にすると考えています。
教師自らが、学校の常識の範囲において、「すべき」、「あるべき」と考える方向に生徒を意識的に誘導するというのはよくあることです。これでは生徒は納得しません。生徒が教師による深い傾聴を通じて、自らの心に向き合い、自己発見と困難を乗り越える道筋を見つけられることが大切であり、その時、教師はファシリテーターとしての役割を十分果たし得たと言えるでしょう。「聞く」ことが出来る教師は結構いますが、深く「聴く」ことが出来る教師はそう多くはありません。AIが進歩するVUCAの時代、教師はファシリテーターであるべきだと思います。