2018.10.30
思索のすすめ

 「我思う、ゆえに我あり」、デカルトのこの有名な言葉に私は確か中学校の数学の教科書で初めて出会ったと記憶しています。以来私は「人間は喜怒哀楽の感情をもってあれこれ考えながら生きているが、死んでしまうと、この考えている自分というものはどうなるのだろうか」と思う度に少し怖いようなさみしいような気持になります。
「DEATH 「死」とは何か」~イェール大学で23年間連続の人気講座~という新聞広告に興味を惹かれ早速この本を読んでみました。
シェリー・ケーガン教授は宗教的・道徳的な議論を極力排除し、論理的・合理的な思考を重ねて読者に「死」というものを考えさせます。最後には自殺の是非を検証します。重いテーマですが、生きることのメリットとデメリットを比較衡量しながら議論が進み、マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」に近い感覚で読むことができました。そして、日頃の私の考えを論理的に再確認することができました。
ケーガン教授は先ず「死」というものに対し、肉体が滅んでも魂は残るという考え方は採らず、人間も機械同様、壊れたらそれでおしまい無になると考えます。そして「死」を頭から悪いものとは決めつけず、生きていたら得られたであろうメリットを剥奪することが明らかな限りにおいて悪いことだと考えます。
教授は満足度を縦軸に年齢を横軸にとったいくつかのパターンのグラフを示し、その時々のメリット・デメリットの大きさや期間の長さ、そして死のタイミングにおけるメリット・デメリットを考察してゆきます。
私も生徒に「人生山あり谷あり」の話をするとき、私自身のこれまでの人生を満足度グラフを使って説明しています。ただ、私のグラフにはまだ「死」の時点はなく、また幸運にも満足度がマイナスにまで下がったこともありません。今のところ生きるメリットが十二分にあるということです。しかし、今後、万一重大な事故や重篤な病などで死んだほうがましだと思うような苦痛に苛まれることがあれば、満足度はゼロを割ってマイナスに振れることになります。そうなると、「生きるべきか死すべきか」悩むかもしれません。
教授は必ずしも自殺は悪いものだとは考えておらず、自殺を是とする条件を4つ提示しています。①自分の頭で考えること②合理的な理由があること③十分な情報があること④自分で決断することです。
①と④は言うに及ばないのですが、問題となるのは②と③です。「死にたい」と思う原因は本当に妥当なものなのか。もし、現状において妥当だとしても、改善できる見込みや解決策はないのか。ここを十分検証することが肝要です。
ハイデッカーは、「人間は他の動物とは違い、死というものを意識する存在である。死を自覚し先取りして準備をする。だから恐怖を感じるのだが、それゆえに本来的な生き方ができるはずだ。時間の有限性というものが人間の本質であり、死に対してどう向き合うかということが、人間らしい生き方の出発点になるはずだ」と述べています。
日本は自殺大国と言われて久しく、特に15歳から24歳の若年層の自殺率は上昇傾向にあります。現実世界から逃避しネットの世界に安らぎを求める若者もいます。しかし、それは抜本的な解決ではなく対症療法にすぎません。現実世界で生きる道を模索しなければなりません。
「本来的な生き方」とは、「人間らしい生き方」とは何か? ケータイをしばしOFFにし、秋の夜長に読書をしながら哲学してみるのも必要ではないでしょうか。

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