私が大学を卒業し、総合商社に入社したのは1981年でしたからもう37年も前のことです。勤務は7年と短かったのですが、仕事の基本を学ぶことができ、当時の上司や諸先輩には深く感謝しています。最近は「一人の商人、無数の使命」というキャッチコピーでの新聞広告やテレビCMを懐かしく見ています。
先週日曜日、その商社時代の同期会があり、久しぶりに懐かしい顔に出会いました。集まった8人のうち、私も含めて4人は早々に退社し実家の事業を継いでいます。後の4人は関連会社の社長や役員をしていました。大阪で事業を引き継いでいる一人が幹事となって声掛けをし、先の株主総会で某有名外車ディーラーの社長に就任した同期のお祝いを兼ねて集まりました。広島と和歌山からわざわざ出てきた人もおり、大いに盛り上がりました。
同期の男性社員は150名(女性は当時一般職のみで350名だったそうです)でしたが、部署が違うとあまり話をする機会がなく、今回初めて話した人もいました。彼は人材派遣会社の関西支社長で、近畿大学で非常勤講師として商社論を教えています。彼のおじいさんが大阪の某女子高の創立者メンバーの一人だと聞きました。37年間の勤務のうち22年間が海外勤務だった人もおりました。ヒューストンやシンガポールなど結構恵まれた赴任先だったのは幸いだったようです。
当時、私達は憧れの赴任先を3Sと言っていました。シドニー、サンフランシスコ、シンガポールです。先輩がアフリカの某所に駐在員を置くかどうか現地視察をして帰ってきたときの報告で、「夜ベッドで寝るとき、サソリが昇ってくるので、ベッドの足に水を入れたたらいを置かねばならない。こんな危険なところには駐在員は出せないよ」と言っていたのを覚えています。
同期の中で単身赴任中のマンションで亡くなっていた人がいることは以前聞いていましたが、東大卒で入社したのにわずか1年で会社を辞めその後消息が分からなくなった人もいたことは初めて聞きました。私も紆余曲折を経て今日に至っておりますが、改めて「人生いろいろ」だなと感慨深いところがありました。