「また一人、信念ある名経営者が亡くなられたなあ」。元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎氏が昨年のクリスマスイブに亡くなられたと朝のニュースが報じるのを見てそう思いました。丹羽さんは1998年に伊藤忠の社長に就任されました。不良債権4000億円一括処理という大胆な決断で話題になりました。私が退社してから10年後のことで、残念ながら直接お話を聴く機会はありませんでしたが、以前OB会で当時私が所属していた課の課長をされていた上司に人となりを訊ねると、「丹羽さんはすごい勉強家で読書家だったよ」と言われたのをよく覚えています。
私が大学を出て伊藤忠に就職をしたのは1981年でした。当時も総合商社は就職の人気業種に入っていましたが、三井、三菱、住友の財閥系に比べると人気は2番手でした。しかし、在野反骨精神に憧れて大学で早稲田を選んだ私は、就職でも財閥系ではなく伊藤忠を第一志望にし、めでたく入社が叶い、前年秋に竣工したばかりの真新しい青山の新本社ビルでサラリーマン生活のスタートを切りました。
入社時の社長は国際派で人望もあった戸崎誠喜氏でしたが、オイルショックの影響を受けた東亜石油問題の処理に苦しめられ、営業利益では3番手に着けていたものの最後に不良債権の処理で特別損失が引かれ日商岩井(現在の双日)の後塵を拝する状況でした。次の米倉功社長の時代になると、日経新聞に「伊藤忠、米ヒューズ社と衛星を打ち上げ」など伊藤忠関連の記事が出るようになりました。戸崎氏の苦労が報われつつあるのを感じました。米倉社長は「1988年均衡経営達成」をスローガンに掲げ、常に「稼ぐに追いつく貧乏なし」、「現状維持は、すなわち、これ脱落である」と社員を叱咤激励されていました。この言葉は今も強く印象に残っています。私は米倉社長後期の1988年に退社しましたが、その後バブルが崩壊、伊藤忠はまた不良債権を抱えました。多くの役員の反対を退け、この不良債権4000億を一括処理し株価のV字回復を成し遂げたのが室伏稔社長の後を受けた丹羽さんでした。
私は今も丹羽さんが書かれた『人は仕事で磨かれる』(文芸春秋)の要旨をまとめたノートを時々見直しています。この本の中で4000億一括処理の真相を次のように語っておられます。「新しい社長に一点の曇りもない状態で会社を引き渡したかった。私の社長としての役割は「掃除屋」だったのではないか。やっぱり人には役目というものがあります。私の場合はさしずめ、伊藤忠にとって考えられるすべての膿を掻き出すことだった」と。
経営は論理と気合、人間力とは気力、体力、知力そして情熱だとも語っておられます。21世紀の経営の要は「人と技術」だがこの「人」の部分が特に重要だとも。また、読書家の丹羽さんは社長になられても本を読みながら電車通勤をされ、「読書をしないような人間はこれからの経営者にしてはならない」とまで述べておられます。インターネットの時代になり考えながら本を読む習慣が廃れ、知識はあってもクリエイトする力が一向に発達しない「知の衰退」が起きている、常識や良識が欠如している若い経営者が多い、「エリート無き国は滅びる」と警鐘を鳴らしておられました。
丹羽さんは2010年、民主党政権下で民間初の中国大使となられましたが、時あたかも、尖閣諸島を巡り日中関係が悪化し、その豊富な人脈を生かしての両国関係の発展に十分に寄与することができず失意のうちに辞任されましたことは誠に残念な出来事でした。現在同様に当時もまた「媚中だ、親中だ」と口さがない人たちの攻撃にもあわれました。暫くして文芸春秋に手記を発表され、それを読んで丹羽さんの奮闘ぶりと外交の難しさを改めて認識しました。現在再び日中関係の悪化を見ており、泉下の丹羽さん、この状況をどのように思われていることでしょうか。
尊敬申し上げた丹羽宇一郎氏のご冥福をお祈りしつつ、少しなりともその爪の垢を煎じて飲む覚悟で私は私の役目を果たしていきたいと思っております。







