今週に入りめっきり秋らしくなり、朝夕は寒いと感じるほどです。夏がひときわ暑かっただけに、急に冬がやってきたようで戸惑いを隠せません。
先週末行われた好文明華祭は、アルカイックの舞台も校内も大変活気に満ち充実した2日間となりました。2日目の校内には他校の生徒も大勢来ていましたので、何人かに感想を訊いてみました。「出し物の種類も多く、自由で楽しそう」といった声や、「この学校に来たほうが良かった」とまで言ってくれる他校生もいて、大変うれしく思いました。
一昨日は、保護者会の社会見学が実施され、事務長とともに参加いたしました。昨年はコロナでおしゃべりもはばかられ昼食もほぼ黙食でしたが、今年はバスが出発するやにぎやかな話声が満ち、昼食も盛り上がっていました。特に1年生の保護者が多数参加くださりました。日ごろなかなかお目にかかってお話をする機会が少ないので、今回はバスの中で、文化祭の感想と生徒たちの期待が高まっている「好文新時代」につき、その真意をお話ししご理解をいただきました。これまた大変有意義な一日となりました。
これに先立つ3日、「好文新時代」に高まる期待と幻想が入り混じっていることに鑑み、改めて私から生徒に以下の文章を以て声明を発しました。かつてナポレオン占領下において、ドイツ再生を願った哲学者フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」を著しました。今、価値観が多様化し集団より個の時代となりましたこの時、改めて自由とは何か、闊達とは何か、そして本当に愉快と思える学園を建設するためにはどうしたらよいか生徒と教員がともに真剣に議論し考えることこそ大事であり、それが「個性創造」をスローガンに掲げる好文100年の基となると考えます。
好文生に告ぐ
「自由闊達にして愉快なる学園の建設」
2学期の始業式において、私の「自由闊達にして愉快なる学園の建設」を受けて、生徒指導部長の岡田先生が「好文新時代」を高らかに宣言されました。好文明華祭が無事終了し、これからいよいよ生徒のみなさんによる議論を開始してもらいます。そこで、「好文新時代」の意味を改めて皆さんに示したいと思います。
私は2007年に本校の校長に就任し、「自立した社会に貢献できる女性を育てる」ことを本校の使命と定めました。先生たちはその実現のために様々なルールや諸規定を考えて、それに則った運営を実行してきました。しかしながら、時代とともに世の中の「常識」は変化してきました。そして、ルールの中にはもはや合理的とは言えないものも出てきました。私は校長室をオープンにし校長ポストを設置して多くの生徒や保護者から話を聴いてきました。そしてその中でいくつかの身だしなみに関するルールも変更してきました。しかしその一方で、みなさんが自ら考え自ら実行できる機会を奪ってしまっていたのではないかと反省をしています。自ら考え自ら実行することができ、少しでも世の中の役に立っていると思える人生は愉快ではありませんか。高校3年間は自立貢献をできる人となるための準備期間です。そこでこの度、生徒と教員がそれぞれしっかりと自らの頭で考え真剣に議論しともに「自由闊達にして愉快なる学園」の建設に着手したいと考えました。
岡田先生の「好文新時代」宣言以来、「化粧を許可してほしい」とか「髪を染めたい」などの個別の希望が私の耳に届いています。私は「だから、そういうことも含めてみんなで議論してクラスの考え方を纏めてください」と答えています。学校のルールや規定に関して人それぞれ様々な要望があると思います。学校は社会の縮図でもあります。無人島で一人で生きているなら、好きなようにできます。しかし、現実はそうではありません。自らの自由を主張するときには他人の自由を侵害してはなりません。それぞれ多少の我慢を強要され、そして競争しながら限られた空間で共生している姿こそ健全な生物社会と言えます。
ある生徒が「私たちのことをもっと信用してほしい」と言いました。私は現在の好文生は十分信頼に足ると考えています。だからこそこの難しい試みを決断いたしました。
今後の進め方や議論の方法については岡田先生から説明があると思います。みなさんの活発で前向きな議論が盛り上がることを期待しています。