好文木(校長ブログ)
2023.06.07
永遠の同伴者

 最近、遠藤周作にはまっています。単に今まで読んだことがないので読んでみようと思ったのが始まりでしたが、作者がキリスト教徒という点にも興味を持ちました。というのは、私自身、キリスト教系の幼稚園に通い、日曜学校などにも通っていたことがありました。キリスト教に触れたのは、幼少期の一時ですが、懐かしく思い出されます。
 最初にタイトルで選んだのが「悲しみの歌」でした。あとがきを読み前作の「海と毒薬」に進みました。太平洋戦争中に、捕虜となった米兵が臨床実験の被験者として使用された九州大学生体解剖事件をテーマとした小説です。「悲しみの歌」はこの事件で戦犯となった医師とそれを追い詰める新聞記者やキリストを彷彿させるフランス人ら登場人物が、新宿の裏ぶれた街で織りなす人間模様を描いた作品です。
 この後、江戸時代のキリシタン弾圧下の転びバテレンを扱った「沈黙」、そして次に「母なるもの」、「イエスの生涯」、「キリストの誕生」、「人生の踏み絵」、「深い河」そして伊達政宗の命により渡欧した支倉常長を扱った「侍」と進んできました。作品を通じて問われているのは、迫害され塗炭の苦しみに喘ぎながら死んでゆく人間を神は最後まで助けなかったにもかかわらず、なぜ人は神を信じるのかという疑問です。遠藤周作は自ら望んでキリスト教徒になったのではありません。小さいときに母に連れられて教会に行き洗礼を受けました。ですからどうもキリスト教というものがしっくりこなくて、それがためにキリスト教を探求し続けたのです。
 作者は「イエスの生涯」において、「人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。自分の悲しみや苦しみを分かち合い、ともに泪をながしてくれる母のような同伴者を」と述べており、イエスの存在の意味を「永遠の同伴者」に見出したようです。「永遠の同伴者」という言葉から、臨床心理学者カール・ロジャーズのカウンセリングマインドを想起します。ロジャーズは、深い本物の傾聴とはクライアントが自己と経験の内側の最も深いところを探求していく、その同行者となることであると考えています。「深く、深く、話を聴いてくれる。きちんと、そこにいて。心を込めて。そんな人がいてくれて、人は初めて、真の自分自身になっていける」。受容・共感・一致によりその人を内側から理解しようとするクライアント中心療法は「同伴者」を必要としています。キリスト教に興味を持ちユニオン神学校に入学し一時は牧師をめざそうとしたカール・ロジャーズと遠藤周作、キリスト教を介してつながったように感じます。

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