好文木(校長ブログ)
2018.06.01
言葉

「言葉」というのは使い方によって話し手の心理を現し、発言内容の真偽を炙り出します。例えば、日大アメフトの反則タックル問題で会見した前監督の「そういうことは言ってないと思うんですが」や加計学園の事務局長の「私が言ったのだと思います」という時に使った「思う」という言葉は、曖昧な記憶を辿る中でたぶんそうだと推測されるという意味です。
前者は選手が監督の指示で反則タックルをしたと明言していることを否定するためになされた発言で、後者は理事長と総理が会談したことを愛媛県担当者に伝えたという事実を肯定するためになされた発言ですが、自らの言動に対して断定の「です」を使わず「——-と思う」という表現を使ったところに極めて不自然な感じを受けました。また、「目は口ほどにものを言う」のたとえ通り、会見時の元監督の虚ろな眼差し、事務局長の笑っているともとられかねない落ち着きのない眼差しもまた、ご両人の内心忸怩たる思いの表れだったのだろうと推察いたします。
私も生徒や保護者の前で話すことが多いので、言葉と表現にはかなり神経を使っています。しかし、時折、「あの言い方はあまり良くなかったな」とか「あの表現では誤解されなかっただろうか」などど、あとで心配になることがあります。
この一年、森友学園、加計学園問題や防衛省の日報問題、そして今回の日大アメフト問題など社会の耳目を引く事件が目白押しでした。政治家を始め評論家や芸能人など多くの人々がSNSを通じて自論を展開しており、読むと勉強になります。賛否両論あるは当然なのですが、一面過ぎる見方や批判の言葉が走り過ぎ人格を貶めるような表現があり品格に欠けると思うものもあります。また、国会論戦では国や組織のリーダーが感情的で非論理的な主張を展開したり、「記憶の限りではそうだと思う」など言語明瞭意味不明な表現をしたり、本筋ではない言葉や表現に関して応酬を繰り返したりする場面が多々あり、論理的思考や問題解決力あるいはコミュニケーション能力の反面教師になる材料が沢山あります。
言葉というものの持つ力、影響力を考えさせられます。
ローマ時代、哲人皇帝と言われたマルクス・アウレリウスは『自省録』のなかで次のように述べています。「そもそも永久の記憶にとどまるものとはなにであるか。すべてこれ空虚の一語に尽きる。ならば、ひとが精進努力を注ぐべき対象は何か。ただ次の事のみ。
正義を身に付けた精神、公共のためにする行為、虚偽をみじんも知らぬ言葉—–」。

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